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ビアズリー展 美しき禁断って惹かれる・ω・

先日、久留米市美術館で開催されていた「異端の奇才 ビアズリー展」に行ってきました~。
今年2月頃に東京で開催され話題になったと聞いたので早速、調査開始です😎

ビアズリーの初期から晩年までの作品約200点くらいが展示されていました。
その中で、特に目を引いたのがオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』で用いられた挿絵でした。
白黒で表現された妖艶で精緻な作品たちは、大人怖い御伽噺のような感覚に陥りました。
よし、これをメインに調査開始だぁ!👀

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『サロメ』とは、1893年、詩人であり劇作家であるオスカー・ワイルドによって描かれた戯曲で、旧約聖書に登場する王女サロメが、預言者ヨカナーンに恋をし、拒絶された末にその首を求めるという物語です。愛と欲望、拒絶と死が交差する、妖しくも悲劇的な作品です。
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舞台となったのは聖書の時代。
主人公サロメは、ユダヤの王女で義父ヘロデの宴で舞いを披露し、ほしいものを一つ何でも願っていいと言われます。
そこで彼女が望んだのは、なんと預言者ヨカナーン(聖ヨハネ)の首でした。
サロメは彼女に決してなびかないヨカナーンに対して、執着と拒絶、欲望と顕示が綯い交ぜとなり、愛する人の首を要求したのです。
わたしになびかないですって?「だったらぁぁ~、よし首ください」と。😵‍💫(怒らせちゃいけないタイプのひとか。。。)

この物語が何を語っているのか考えると、単なる恐怖や狂気ではないような気がします。
それはむしろ、“愛が通じなかったときの絶望”や、“得られないものへの執着”をまっすぐに突きつけてくる作品に感じられます。

オスカー・ワイルドはこの物語に、欲望・禁忌・美のすべてを詰め込み、挿絵担当のビアズリーは、それを線と余白だけで再現した作品です。
ビアズリーの挿絵は、モノクロで冷酷さを感じさせながら、血の匂いはしないのにぞっとするような美を感じさせるものでした。

この作品が生まれたのは19世紀後半のヴィクトリア朝のイギリスです。
道徳と品位が重んじられ、性も暴力も、表現するには“ふさわしくない”とされた時代の中、ワイルドとビアズリーは人間の心の奥にある「いけないけど人間が本質上持っている気持ち」を芸術に変え人気を博すことになりました。

なぜ私たちは、そんな“禁断の美”に惹かれてしまうのか。
それはきっと、人間の中にある「欲望」や「愛されたい願い」には、時にまっすぐで、時にゆがんだ形もあるからでしょう。
そのすべてが「人間らしさ」なのだと、このコンビは当時の産業革命真っ只中のイギリスや世界に問うたのかな~と考えてしまいます。

現代でも、SNSや広告、映像、ファッションの中に、どこか“危うさ”や“背徳の美しさ”をまとった表現が散見されます。
整いすぎたものでは物足りず、少し乱れているものに惹かれる。それはきっと、心の奥の「本音」がそうささやくからだと感じます。

ビアズリーとワイルドの芸術は、そうした人間の深層を、「美しさ」として肯定してくれたという見方もできます。
愛は、純粋で清らかなものだけではない。ときに、執着や破壊をともなう。でもそれでも、人は誰かにふれたいと願い、表現せずにはいられない
んんん~~~~~深いね~~~って思いながら館内を歩いていたら一緒に行った息子が「よくわからん」と一言。。。。😑
たしかに。。。。

『サロメ』に描かれた愛は、たしかにゆがんでいる。でも、そこにある感情は、誰の心にもあるものです。
拒まれることへの怒り・振り向いてもらえない切なさ・どうしても欲しいと願ってしまう、どうしようもない衝動。

そうした感情を、禁断と知りながらも、“美”として差し出したふたりの芸術家。その勇気と覚悟が、今も私たちをひきつけるのでしょう。。

てか、確かにこの気持ちが息子に「分かるわ~~~、みえてきたわ~~」「俺もあるわ~~~」🤠って共感されても親として困る。。

愛も欲望も、時に人を狂わせる。でも、それをただ隠すのではなく、昇華し、見せるのも芸術の力ですね~。
妖艶さや危うさは、決して“間違い”ではない。
それも人間の一部だと知ることで、私たちはほんの少し自由になれる気がします。

うんうん、ちょっと年頃の息子と行く展示として合ってたかどうか不明ですが何事も経験です\(^o^)/
てか、夏休みの宿題終わってないだと?
よし、帰って勉強だ!

 

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