福岡県筑後市のホームページ制作会社

株式会社はねオンライン

はねオンラインはじまりの始まり

our origin

1.はねオンラインのはじまりのはじまりを書くにあたって。

年に数回・不定期ではありますが、
私たちは「ニュースレター」をお客様にお届けしております。
その中に私たちの個人的なコメントを書くコーナーがあるのですが、
長尾の欄に『会津若松出身』と書いていたことがありました。
それを読んでくださったお客様から度々聞かれました。
「長尾さんは東北から来られたの?」
「どういう関係で?」「なぜまた筑後に?」「いつか戻られるの?」

そのときは簡単にご説明させていただいただけですが、
そのことをずっと覚えていてくださったり、
すごく感心していただいたりということがありました。

わたしもいつかこの「はじまり」のことを何らかの形で、
記しておきたいという想いはずっとありましたが、
まだ時期尚早だという思いや、
はねオンラインがスタートをきる際にご迷惑をおかけした方もおられましたので、
自分たちだけ浮かれた感じにとられてしまうのも違う気がしていて控えておりました。
10年経って少しは地に足がついたら…という思いをどこかに抱えながら、
その機会がくるのを待っていたように思います。
このたび、法人化に伴うにあたって、ひとつの区切りという意味も込め、
ここにはねオンラインのはじまりのはじまりを記すことにしました。

多少長くなりますし、別に得する情報があるわけでもありませんので、
ちょうど時間を持て余して仕方がなかったよ…って方のみ、
読み進めていただければと思います(*´ω`*)
(言葉を選びに選びながら、これでもずいぶん端折って書いたつもりです) 

2. それは1995年にさかのぼります。 

東京に本社をかまえる「とある会社」には、
大阪・名古屋・福岡・仙台・広島に支店がありました。
バブルがはじけて2・3年経った頃の1995年、
永松はこの「とある会社」の福岡支店に、長尾は同じ仙台支店に就職.
同期は40名くらいいたと思います。
それぞれ人生ではじめての就職です。
営業職として仕事をはじめ半年くらい経ったころ、
各支店から新入社員1~2名ずつ東京本社に集まる研修出張がありました。
同期が合計5名が集まり、約2ヶ月の間、
同じ屋根の下に寝食を共にするという共同生活です。

仙台代表の長尾は前月の営業成績がよく、
インセンティブのサイパン旅行を獲得し、1人だけ数日遅れて合流でした。
長尾が合流するという寮生活3日目の夜、
「どんな人なんだろう…。きっと目つきが鋭くて口が達者で
それでもって日焼けサロンに通ってるような営業マンが来るに違いない…」
と永松は苦手なタイプの男をイメージしながら緊張して寮に帰りました。
「ただいま~」と声を出して玄関を開ける4人。
奥のたたみの部屋でひざをかかえて座っている青年がいました。
それが長尾でした。

寝てるときとマンガ読んでるとき以外はずっとしゃべりっぱなしの同期の大阪人が、
先頭をきって何やらペラペラとはじめましての挨拶をしています。
長尾は照れくさそうに苦笑いをしていました。
(大阪人の話がそんなにおもしろくなかったんだろうと思われます)

みんな簡単に出身地と名前を言って挨拶を交わし、
いよいよ5人の共同生活が始まりました。
これが永松と長尾の出会いです。
今から思えば、この瞬間がはねオンラインのはじまりのはじまりです。

それぞれの第一印象。
永松→長尾 「あれ?のっぺりしてる…。むしろ自分より人見知りで親しみやすそうだ」
長尾→永松 「この人、なんかなんも悩みなさそうな緊張感のない顔してんな…」

「この人仕事できそうだ!」とは決して思えなかった第一印象同士。
そんな2人が組んで仕事をしているってどうなんでしょう…。
しかし、仕事をしていくうちに「なかなかやりますね」と、
お互い認め合える関係になったことは2人の名誉のために付け加えておきます。
この出張メンバーはスタイルの違いこそあれ仕事ができる人たちばかりで、
いい緊張感の中で仕事ができ、ほんとに鍛えられました。

2ヶ月の出張が終わってからも、また同じメンバーでの長期出張が2度ほどあり、
この5人は出張が終わってもプライベートも連絡を取り合ったり、
各地で5人集合して再会したりするくらい仲が良くなりました。 

3. 通信サービスの仕事をはじめた1997年 

細かいことは省略しますが、
その「とある会社」は別会社として1997年に通信の仕事の分野に進みます。
永松は福岡市(博多)で、長尾は仙台市で、ここでも営業職として勤めました。

長尾は福岡の天神や博多の街がとても気に入ったようで、
毎年のゴールデンウイークには仙台から飛行機で福岡まで遊びにくるようになりました。
いつかなんか一緒に仕事できたらいいね~なんてな夢物語を語りながら、
ホームページを作って遊んだり、毎年様々な対決シリーズをやったりして過ごしていました。
(たぶん長尾は10年くらい途切れることなく福岡に来たと思います)
会社組織もいろいろと変化しながらも、そうやって約8年くらい、
博多と仙台で通信サービスの仕事にたずさわりました。 

4.筑後を拠点に 

永松は当時祖母(ばあちゃん)と2人暮らしで、
年々歳をとっていくばあちゃんの近くで仕事をしたいという思いが強くなり、
退職をしてでも筑後市で働く事を考えていました。
悩みに悩んだ末、入社以来お世話になり育ててもらった社長に思い切って相談しました。
わたしの希望で、完全独立という形を取らせていただきながらも、
「東通西日本株式会社 筑後営業所」という立場をとっていいという、
いわゆるのれん分けという形をとっていただきました。

長尾に「一緒に仕事をやろう」と誘いました。
もちろん様々な考慮すべきこともありましたが、
思いがそれを超えていました。 

仙台で育ててくれた上司や一緒に働いている仲間、
九州に行ったらなかなか会えなくなる昔からの友人たち、兄姉、
無言で背中を押してくれた父親、
遠く離れた九州へ旅立つことでさみしく思われただろう母親、
長尾はすべてを断ち切ってやってきました。

「そんな人のために恩返しするためにもおれたちは成功しなくちゃいけないんです!」
と、筑後に来て数ヶ月経ったときに長尾が言った言葉を今でも覚えています。 

5. 今もなお胸に刻んでいる思い 

私たちがこうやってスタートしたその後ろ側には、
ご迷惑やご心配をおかけした方々、
私が長尾をこちらへ引っ張ってしまったことで不愉快な思いをされた方々、
大きな損害を与えてしまった方々がいることを、
今もなお胸に刻んだままです。

そうやって大きな決断をし、人生かけて筑後にやってきた長尾に
「福岡にきてよかった」と思ってくれるように、
自分も人生かけようと思ってスタートを切ったはねオンラインです。

(ちなみに、今は長尾も家族を持ちましたので、
長尾の幸せは奥様と子供さんに委ねています(^^)バトンタッチ)
 
と、言葉で書くとなんだか必死な顔して毎日過ごしているみたいですが、
もともとがゆるめのキャラクターの2人、
「のっぺり」と「悩み事なんかなさそうな顔」してやっております。

あ、そういえば、長尾が筑後に来て数か月が経ったとき、
「大好きだった天神や博多まで筑後からこんなに遠いとは思わなかった…」
と失望した顔でつぶやいたことは聞こえなかったフリしていたのは内緒です。

以上、はねオンラインのはじまりのはじまりの物語でした。


この続きは、はねぷーとはねもふちゃんにお任せします。 

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