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Vol.6(ラスト)法人化の前にやっておかなくてはならなかった旅の話:4日目 宮沢賢治に会いに

Vol.6(ラスト)法人化の前にやっておかなくてはならなかった旅の話:4日目 宮沢賢治に会いに

2018年1月4日

「岩手県に行くべきだ」
そのアドバイスにしたがい北上します。気仙沼おばちゃんありがとう。

気仙沼市は岩手県との県境にあります。上も左も岩手県。
たしかにここまで来ているんだったら岩手県に突入しなきゃもったいない、って場所にいるのは確かです。

おばちゃんが陸前高田市という言葉を言っておられたので、この↑ルートを通りました。
海岸沿いの道、どんな景色が出てくるのかな~と地図を見て思ってました。
しかしながら目の前に現れた光景は思った以上の震災のつめ痕でした。

旧)陸前高田市立気仙中学校 ↑

写真を拡大したものです。↑

3階建ての屋上を超える高さで津波が襲い、校舎はすべて津波に飲み込まれてしまいました。
にも関わらず、校長先生をはじめ学校側の機転もあり、全校生徒と教職員は全員無事だったそうです。

ネットでこんな記事を見つけました。

津波は校舎最上階まで達し、体育館を含め、全壊したにも関わらず気仙中学校の全校生徒、教職員は避難。全員無事。
「なぜ、こんな海のそばに学校が」
 陸前高田市気仙中の越恵理子校長(56)は2009年4月に赴任し、窓越しの風景に違和感を覚えた。堤防を挟み、校庭の向こう側に海の白波が見えた。内陸部の出身で津波には詳しくない。
知識が少なかったからこそ、素朴な不安から避難経路の見直しを始めた。
 津波を想定した避難場所は、学校近くの駐車場だったが3階建て校舎の高さとほとんど変わらず、安全には思えなかった。
 周辺を調べると、高台に通じる小道があった。急勾配な道を通り民家の脇を抜けると、かなり高い場所まで登れた。
 防災訓練で、1960年のチリ地震津波を経験した地域住民の菅野昌雄さん(78)を講師に招いた。
 「津波は気仙川の水位が下がった後、川沿いにやってくる」
 「校舎の屋上は駄目だ。さらに高い所に逃げられる場所に避難しないと」。
 菅野さん話はどれも示唆に富んでいた。
 3月11日、生徒86人と教職員はいったん駐車場に退避した。
 しかし気仙川の水位が下がり川底が見えたため、5分と待たずに、小道から高台を目指した。
 間もなく、川をさかのぼった津波が堤防を越えたのが見え、その後、校舎も駐車場も濁流の下に沈んだ。
 越校長は「先入観を持たずに一つ一つの課題を見直せた」と話すとともに「聞いていた通りになった」と住民の教えに感謝する。

気仙中学校の反対側。↑

拡大したものです。↑

奇跡の一本松が小さく写ってます。↑

<奇跡の一本松について>
 太平洋につながる広田湾に面した高田松原は、350年にわたって植林されてきた約7万本の松の木が茂り、陸中海岸国立公園(現三陸復興国立公園)や日本百景にも指定されていた景勝地であったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震による津波の直撃を受け、ほとんどの松の木がなぎ倒されて壊滅した。
 しかし、松原の西端近くに立っていた一本の木が津波に耐えて、立ったままの状態で残ったことから、この地震と津波が陸前高田市のみならず広く東日本の太平洋沿岸地域一帯に甚大な被害をもたらした中にあって、この木は震災からの復興への希望を象徴するものとしてとらえられるようになり、「奇跡の一本松」や「希望の松」などと呼ばれるようになった。
 震災後、この木を保護する活動が続けられたものの、根が腐り枯死と判断された。
 その後に震災からの復興を象徴するモニュメントとして残すことになり、幹を防腐処理し心棒を入れて補強したり枝葉を複製したものに付け替えたりするなどの保存作業を経て、元の場所に再び立てられている。
 (この作業には多額の費用が投じられたこともあって、保存の是非を巡っては賛否両論が巻き起こった)(以上、ウィキペディアより引用)

海岸沿いは復興工事の真っ最中です。
現場で働いていただいている方には頭が上がりません。

仮設店舗(プレハブ)での営業中のお店。

陸前高田市の海岸沿いは、復興工事真っ最中でした。
何も役に立てずに、風景を目に焼き付けるだけでただ通り過ぎるだけの自分。
胸が痛みます。

チョウの羽が起こした小さな風が、遠く離れた国の気象に影響を及ぼすと言われる「バタフライ効果(バタフライエフェクト)」って言葉があります。
そんな微々たる風かもしれないけど、それはどこかで何かしらでつながっていて、きっと誰かの力になってくれるはず。
そう信じて生きることが大事なような気がします。

さて、ノープランの午後。どこに向かおう。

岩手といえば盛岡くらいしかパッと浮かばないくらい岩手初心者。
しかし「帰りの飛行機のことも考えると盛岡まで行くと遠すぎるのでは?」というおばさんの意見もあり盛岡は断念…。
岩手には温泉とかお寺とかジンギスカンとかがあるよ、と教えてもらったことを思い出しながら…、でもなんかどれも今の気分と違うんだよなぁ…ううん~と一人唸ってると「あ!」と思い出しました。

宮沢賢治

たしか宮沢賢治記念館みたいなものがあるって言ってあったな。
どこにあるって言ってあったっけ。

花巻市。距離は80km。移動時間は約1時間半。
一昨日の野口英世記念館が意外にもガツンときたもんで、この路線は今回の旅にハマるのでは?という予感。
よし決まり!

どうやら、宮沢賢治記念館のほかにも、近くに童話村やイーハトーブ館があるようです。
とりあえず約1時間半の移動のあと、宮沢賢治童話村に到着。

銀河ステーションって書いてある。いきなり銀河鉄道の夜の世界ですね。

「妖精の小径」ってところを通って「山野草園」へ。

写真には写っていませんが、ここには宮沢賢治ファンにはたまらない仕掛けやオブジェがあります。
ベンチに座ると音声で宮沢賢治の物語が聞こえてきたり、物語の中に登場した草花がたくさん生えています。

先ほどから宮沢賢治にくわしい感じで書いてるように見えるかもしれませんが、実はわたくしお恥ずかしながら、『銀河鉄道の夜』と、小学校の教科書にでてきた「クラムボンはわらったよ」で有名な『やまなし』、『注文の多い料理店』くらいしかよく知らない賢治ビギナーです。
しかも宮沢賢治に興味を持ったきっかけは、高校のときに『銀河鉄道の夜』のアニメの映画にハマってしまったあとに小説を読んだというお手軽で雰囲気重視で浅はかで邪(よこしま)な宮沢賢治ファンです。いや、「ファン」と名乗る資格も持ち合わせていないレベルです。

『銀河鉄道の夜』のアニメ映画は、カンパネルラとジョバンニが猫として描かれているバージョンの方です。でもこのアニメ映画、小説の世界観がしっかりと描かれたほんといい作品なんですよ。

特に、中・高校生という青い不安定な時期に見ると人によってはハマってしまう世界観かも。
静かで物悲しくてどこかなつかしくて優しくて切なく不思議な物語。
また、音楽がすごく印象的で、物語の世界観をより魅力的にしてくれてたという記憶がありましたが、どうやら細野晴臣さんが担当されてあったみたいです。

ぼくがハマってしまった理由は、「この話どういう意味なんだろ…もう1回見てみよう…」とただ理解が遅く何回も観てしまったせいかもしれませんが…。

ま、そんな個人的なことはさておき『賢治の学校』に入ってみましょう。ここは有料の施設です。
(ここまでは公園のように無料で開放されています)

宮沢賢治の世界を、光と影とで再現したような施設でした。
(載せている写真以上にきれいです。写してないところもたくさんあります。たったこれだけ…?と思わせてしまったらごめんなさい)
施設の前半は近代的なアトラクションのようで子供のようにドキドキしました。

「賢治の学校」を出たら「賢治の教室」。左の方をむけば広場。

【宮沢賢治童話村】をひとまわりしましたので【宮沢賢治記念館】へ移動。

こちらは館内は撮影禁止でした。
作家としての宮沢賢治だけではなく、農業の携わる研究者、農業をひろめる講師、その他、哲学者としての宮沢賢治なども知ることができました。
彼の物語の中には、多くの動物と植物、鉱石が出てきます。
彼は農業を中心に置いてはいますが、童話はもちろん、音楽、鉱石、そして宇宙まで深く学び、それを表現してきた人ってことがよくわかりました。

もっと宮沢賢治を読んでみたいなと思っております。

最後に『注文の多い料理店』に出てきた山猫軒に入りますよ。


「どなたもどうかお入りください。決してご遠慮はありません。」


「ことに肥ったお方や若い方は大歓迎いたします。」


「當(当)軒は注文の多い料理店ですからどうかそこはご了承ください。」


「お客さまがた、ここで髪をきちんとして、それからはきものの泥を落としてください。」


「壺の中の顔や手足にすっかり塗ってください。」
「どうか体の中に、壺の中の塩をたくさんよくもみ込んでください。」

「料理はもうすぐできます。十五分とお待たせはいたしません。すぐたべられます。早くあなたの頭に瓶の中の香水をよく振りかけてください。」

「うわあ。」がたがたがたがた。(宮沢賢治「原作」より)

逃げます!

※ 実際の「山猫軒」は、ちゃんとおいしい料理を「あなたが」食べることができるレストランになっておりますので、ご安心くださいねこ。


とまあ、長々とダラダラと長い期間に渡り書いてきたこの旅の記録もこの回を持ち完結です。

(この最後のコメントを書いているのは、この旅からすでに6か月経っていて年も変わっております(汗))

細かいところの記憶は次第に薄れていますが、時間が経つにつれてより一層の意味を増すような旅でした。

旅のあいだ、
自分にとって何が大切なのか、
何を大事にしたいのか、
これからどんなところへ歩いていきたいのか?
をずーっと考えていたような気がします。

旅のあいだに考えたことなのかどうかその境目がわからなるくらい自分自身と一体化したときに、これからの人生や会社の方向性に影響を与えてくれるんだろうな…。

そしてそれはもうすでにはじまっているような気もします。

あ、そうだ。
それが本当かどうか確認する旅に出かけなきゃ…。



<法人化の前にやっておかなくてはならなかった旅の話 全6話>

Vol.1 旅の前夜編

Vol.2 ご両親の元へ

Vol.3 会津若松市めぐり:鶴ヶ城から飯盛山へ(福島県前半)

Vol.4 野口英世記念館から五色沼へ(福島県後半)

Vol.5 3日目 松島に別れを告げ気仙沼市へ

Vol.6(ラスト)4日目 宮沢賢治に会いに

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