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小倉で一角獣に会ってきた ― 村上春樹の世界を舞台で観た日

「こ、これは行ってみたい!」
夜、家でスマホに表示されたのは、村上春樹の小説
『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の舞台の情報でした。

チケット取れるかな、と調べてみると残っていた席のは「注釈付きS席」のみ。
「注釈付きとは、ステージの一部が見えにくい可能性のあるお席です。予めご了承ください」
と書いてあります。
もう立ち見でも補助席でもなんでもいいので見せてください!って気持ちだったので迷わず申し込みました。
(実際、私の席は少し見えない場所があるだけで、まったく問題ありませんでした)

公演日は2月28日(土)
12:30開演
場所は小倉にある北九州芸術劇場。
注釈付きS席、大人1枚。

予約完了です。

***

「なんかおもしろい本が読みたいな。おすすめの本をお願い」
15年くらい前、ちょっと体調をくずし入院していた奥さんのお見舞いに行ったときのことです。

そう頼まれた私は、いろいろ考えた末、とっておきの物語を持っていくことにしました。

こんなにたっぷり時間がある環境で、本を読む元気もある。
それならこれがいいだろう。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』
村上春樹の長編小説で、上下巻に分かれた作品です。
(1985年刊行)
(今回、あえて敬称は付けずに書かせてもらいます。大物に「さん」を付けると、なんだか身近な関係を装っているみたいで厚かましいように思いまして)

私は20代のころにこの本を読んで、とてもおもしろかったのですが、意味が分からない部分も多く、なぜか数年に一度読み返したくなってしまいます。
今でも本屋で見かけると、ついまた買ってしまい、同じ文庫本が3冊あります。

この物語は、ふたつの世界が交互に描かれており、ひとつは、私たちが住んでいるような現代を舞台にした「ハードボイルド」な世界。
もうひとつは、壁に囲まれた幻想的な「世界の終わり」みたいな世界。

まったく異なるそのふたつの世界が、少しずつ融合していきます。

光と影。
生と死。
現実と夢。
対立しているようで、実は一体でもある。
そんなテーマが流れている物語。

ビジネス書や哲学書にもこういうテーマはよく扱われますが、それを「物語」として体験すると、体に染み込む深さがまるで違う気がします。

退院したあと、奥さんに感想を聞いてみました。
「実は、病室で読んでるとどんどん気持ちが落ちていっちゃって……。なんとか上巻までは読んだけど、下巻は読めなかった」

そうか……。
私の考えが甘かったな、と反省しました。
たしかに言われてみれば、世間から少し切り離されたような病室という場所では、この物語の世界観は少し重かったのかもしれません。

***

そんな思い出もある『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』が刊行され40年経ったいま、舞台で表現されるなんてびっくりです。
しかも主演は、藤原竜也。

舞台を観に行くという高尚な趣味を持っていない私は、自分の意思で舞台を観に行くのは、これが生まれて初めてです。

しかし、どうやってあの長い物語を舞台で表現するんだろう。
映画ですら難しいと思うのに。
とにかくそこが興味津々でした。

普段は車ばかり運転しているので、当日はJRで行くことにしました

少し早めに着いて、小倉の街でもぶらぶらしながら写真でも撮ろう。
そんなことを考えながら、余裕を持って朝の準備をしていました。

しかし。

モモ(猫)をなで過ぎて出発が遅れ、博多駅の切符売り場は予想以上の混雑。
結局、予定より1本遅い電車に乗ることになりました。
それでも10分前には会場に到着予定でしたが、特急が小倉駅に5分遅れて到着。
駅から早歩きで劇場へ。
ところが、どこから入るのか分からず少し迷ってしまいます。

ようやく会場の入口に到着したとき、
「もう開演ですよ。席はどちらですか。ご案内します」

案内係の貴婦人に連れられて会場へ入った瞬間、客席の明かりが少しずつ暗くなりはじめました。

「あちらの席です」と言われ、「前をすみません」とすでに座っている人の前を通って席に座ったその瞬間、会場が完全に暗転しました。

自分の手も見えないほど真っ暗け。
1秒前の到着。
ギリッギリ。
今から始まるんだな、という余韻もなく、いきなり幕が上がりました。

(反射しててすみません)

真っ暗な会場に白く浮かび上がるステージ。

(一角獣だ!!)

舞台の上には、ほら貝のような大きな角笛を吹く門番。
そして一角獣が数匹、踊るように歩いています。

バレリーナのような女性が、頭に長い一本の角をつけて、しなやかに動いている。

美しい。

最初のシーンだけで、もう涙がこぼれそう……。

本とは逆で、舞台は「世界の終わり」の世界から始まりました。

そのシーンが終わると、いよいよ藤原竜也の登場です。

エレベーターのシーンから始まり、ぶつぶつ独り言を言っています。

本の通りです。

そこから先は、もう夢中で見入ってしまいました。

前半65分。
20分の休憩。
そして後半85分。

あの長い小説を2時間30分にまとめているわけですから、展開はかなり早い。
むしろストーリーは小説より分かりやすいくらいでした。

何度も読んできたつもりでしたが、
「ああ、そういう意味だったのか」
と気づく場面もありました。

***

しかし舞台って贅沢な時間ですね。
映画なら、北海道から沖縄まで、それぞれの映画館で同時に藤原竜也を観ることができます。
でも舞台は違います。
今この瞬間、この舞台を観ることができるのは、ここにいる人だけ。

そして舞台のすごさを感じたのは、あの限られたスペースで、どんな世界でも再現できるということでした。
街を歩き、
家のベッドでくつろぎ、
洞窟を進み、
滝をくぐり、
イタリアンレストランで料理をし、
雪が降り、
エレベーターに乗り、
駅の雑踏を歩く。

それをすべて、

小道具、
光、
壁に映す映像や影、
音、
舞台の隅っこ、生演奏で弾かれるピアノ、
そして、踊り。

それらを組み合わせて表現している技術とアイデアは圧巻でした。

失敗の許されない生の演技なので、映画よりも緊張感を感じます。
でも一流の人たちは、その緊張感を楽しんでるように見えて、物語にどっぷり浸れる安心感がありました。

藤原竜也が藤原竜也のモノマネをしているんじゃないかと思うくらい、藤原竜也は藤原竜也以上に藤原竜也でした。

出演者のダンスも素晴らしかったです。

その振付・演出は、フィリップ・ドゥクフレ氏という世界的に評価の高い方が担当しているそうです。

青色のワンピースで図書館の司書を演じた森田望智さんもステキでした。
来年(2027年)前半の朝ドラ『巡るスワン』(脚本:バカリズム)の主演が決まっているみたいです。
(観終わってから知りました)
ピンクの女性も、男大小コンビの2人組も、とにかく出ている人みんな素晴らしかった。
この完成度の高い舞台を、この1回だけではなく、数ヶ月にわたって全国で何回も行ってきたのか……。
そして今日もこのあともう一回、公演があるのです。
すごい、という言葉しか出てきません。

***

帰り道、余韻に浸りながら駅まで歩いていると、本屋がありました。
気が付くとまた『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』を探している自分がいました。
すぐには見つからなかったので冷静になれましたが、あやうく4冊目が本棚に並ぶところでした。
あぶないあぶない。

さて。
角の生えてない生き物をなでるために家に帰ろう。