はねオンラインは、今年(2026年)で創業20周年を迎えました。
21年目突入です。
(※法人化は2017年7月ですので、会社設立としては9年目となります)
2006年1月4日、長尾が東北の地に別れを告げ、福岡空港に降り立ったときから、はねオンラインはスタートしました。
私(永松)がしみじみとなつかしむだけの目的ではありますが、20年間を簡単に振り返ってみて、今後の活力に変えていきたいと思っております。
【すかんぴんランチ】
2006年。
2DKのアパートを借り、一部屋を長尾の住処に、もう一部屋を事務所にして仕事をはじめました。
私(永松)の前職である東通西日本株式会社さんから、のれん分けをしてもらったような形です。
最初のころは、「筑後営業所」という立ち位置で活動をさせていただきました。
以前からお付き合いのあるお客様も引き継がせていただけたという、まったくのゼロからではないという点では、とても恵まれたスタートで、ほんとうにありがたかったです。
ただ、資金面では決まった給与がどこからか振り込まれることはなく、お客様から仕事をいただいた分が収入のすべてでした。
「起業」したわけですから当然です。
貯蓄もなく、勢いと情熱だけで始めました。
日々の昼食はカップラーメンやニラそうめんばかり。
出先でお昼に少し良さそうなお店に入ったときのこと。
その店には1,000円を超えるメニューしかなく、
「ひとつ頼んで2人で分けるってのはアリなんだろうか……」
と、真剣に悩むほどギリギリの生活をしていました。
今思えば、よくもまあ、あんな素寒貧(すかんぴん)な状態で起業したなと、自分でも驚きます。
夜、ふとんに入ると月末の支払いのことが頭から離れず、夜中に飛び起きたことが何度もあります。
最初のころ、資金面では一緒に暮らしていた祖母(ばあちゃん)にずいぶん助けてもらいました。
私はひそかに、ばあちゃんのことを「オーナー」と呼んでいました。
【ひとつめの転機】 自分たちでやってみよう
お客様を増やすため、これまで少しでもご縁のあった企業を訪問したり、電話帳を開いて新規でアポイントを取ったりと、新人のころのように営業をしました。
次第にお客様も増えてきましたが、通信工事については本社にお願いして対応してもらうしかありません。
私たちは2人とも営業畑で育ってきたため、工事の技術を持っていなかったからです。
転機が訪れました。
「電話機を1台、2階から3階に移動したい。急いでいるので今週中にお願いします」
というご依頼を、学習塾さんからいただきました。
本社に工事の相談をすると、予定が詰まっていて早くても来週になるとのこと。
悩んだ末、「自分たちでやってみよう」という決断をしました。
以前、工事の人たちについて回ったときに教えてもらった記憶を頼りに材料を揃えました。
「青白のあとは茶黒だよね。で、そのあとは黄色?あれ?緑だっけ?」
配線をつなぐときは、ああでもないこうでもないと試行錯誤の連続でした。
15時からはじめた工事は、完了したときには23時を回っていました。
時間はかかりましたが、自分たちでなんとかお客様のご要望に応える工事ができたこの経験をきっかけに、それからはできる限り自分たちで工事を行うようにしました。
はじめてビジネスホンを入れ替えたときは、
「新人外科医のはじめてのオペってこんな感じなんだろうか……」
と、手に持ったドライバーが、まるでメスに思えるくらい、すごく緊張したことを今でも覚えています。
2人とも、国家資格である「工事担任者 AI・DD総合種」の資格も取得し、できる工事の幅も広がりました。

【ふたつめの転機】草野球とホームページの関係
仕事以外の目標として、「野球の試合をする!」というのを作りました。
2006年、私の同級生に声をかけ、5〜6人で練習を始めました。
練習を見学していた見知らぬ若者たちが参加してくれるなどして、約2年かけて9人をかき集め、急いでユニフォームを作り、練習試合も経験せずいきなり市のリーグに登録しました。2008年のことです。
結果は、審判もあきれるほどのエラーまみれでコールド負け。
見るも無残なスタートでした。
野球なんかに興味がないという友人にも、「ただ立っておくだけでいいから!」と無理やりユニフォームを着せて試合に出てもらったのですから、当然といえば当然の結果です。
でも「野球の試合をする!」という目的がかなった喜びの方が大きかったです。
このころ、長尾が
「ホームページをつくる仕事をしてみたい」
と、言い出しました。
独立前から、自分たちのホームページをつくって運営していた経験から、
「自分たちのホームページの運営、更新ですら大変なんだし、お客様のホームページを仕事にするのはすごく大変だと思うよ」
と伝えましたが、数日後、長尾は
「それでもやっぱりやってみたい」
と言います。
もしかしたら私には向いていなかっただけで、長尾には向いている可能性があるかもしれない、と思い、「よし、やってみよう」ということになりました。
まずは実験や練習の意味も兼ねて、自分たちの草野球チームのホームページを制作することにしました。
ホームページ制作の学校に行った経験があり、基礎くらいはおぼろげに知っていた私が、最初は教える立場でしたが、長尾も講習を受けたりして勉強を重ね、数か月後には完全に長尾の方が詳しくなっていました。
私が草野球チームのブログを書き、長尾がホームページの編集や動画をYouTubeにアップし続けたことで、うちのチームのホームページは筑後市周辺の草野球界隈では知られる存在となります。
市の大会の対戦相手を決める抽選会に参加すると、「いつもホームページ見てます」と別のチームの方から声を掛けられたり、ホームページ経由で入部希望の連絡が急激に増えはじめました。
弱小チームだった私たちは、中学生、高校生から社会人まで多くの人が集まり、筑後市の軟式大会(C級)で優勝するまでになりました。
(2016年、主力メンバーの進学・就職・転勤・結婚・多忙などが重なり、活動を休止しました。10年間、楽しかったなー)
草野球チームをつくったことも、意図せずですが仕事につながってたんだろうな、と思います。
こうして草野球チームのホームページ運営で経験を積み、2010年頃からお客様からホームページ制作のご依頼をいただくようになりました。
今ではお客様からは、
「こちらが伝えたかった通りのデザインです」
「このアイデア、おもしろいですね」
といった声をいただくようになりました。
紹介でホームページの仕事は少しずつ広がっています。
手前みそになりますが、今では長尾のつくるホームページは、デザイン力・ご要望の再現力・つくるスピード、遊び心、それらを含めた総合力で、福岡県内(=九州内)でもトップクラスだと思っています。

【念願の法人化】
2011年、仕事場はアパートの一室から賃貸の一軒家に引っ越しました。
その後、長尾は結婚し、マイホームを建てました。
長尾の奥様もうちの仕事を手伝ってくれており、今や大きな戦力です。
2015年、デザインやプログラムもできるSさんとも出会うことができ、今でもチームとして一緒に働いてくれています。
2017年7月。
大事な仲間も増え、時間はかかりましたが念願の法人化をして、「はねオンライン株式会社」となりました。
【順調なことばかりではなかった】
ただ、順調なことばかりではありませんでした。
2019年に携帯電話ショップに挑戦したのですが、正月もお盆も休みがなく、本部から思ったように端末の在庫が流れてこず、成約が流れることも多く、体力的にも経済的にも厳しい1年でした。
(1年で撤退しました)
また、事務所の大家さんが変わり、
家賃を上げるか、ここを買うか、出ていくか、
という3択を迫られました。
【2度目の移転で再チャレンジ、そして今】
2020年、私たちは3択の中から移転を選びました。
大雨で2度浸水した場所だったこともあり、いろいろと検討した結果、筑後市を離れ、久留米市で再チャレンジすることにしました。
このときも、お客様のご縁に助けられ、良い条件で新しい拠点を構えることができました。
慣れ親しんだ、愛着のある筑後市を離れる決断は簡単ではありませんでしたが、新しい環境に踏み出す感覚は新鮮でもありました。
(筑後市には、また別の形で恩返しができるよう成長していきたいと思っています。はねオンラインの「はね」は、筑後市を象徴する羽犬塚の「はね」ですから)
先ほど大変だったと書いた携帯電話ショップでの経験ですが、そこで得たモバイル通信の知識は今の仕事にも確実につながっていますし、そのときに協力してくれたMくんとのご縁も、今も続いています。
たしかに大変だったけど、カウンターでの接客はけっこう楽しんでたような気がします。
【まとめ】
おおまかに20年を振り返ってみました。
20年という月日は、生まれた子が成人するくらいの時間ですね。
そう考えると、本当に長い道のりを歩いてきたのだなと思います。
通信工事を自分たちでできるようになったこと。
ホームページ制作という新しい柱を持てたこと。
この2つが、20年間続けてこられた大きな要因であることは間違いありません。
しかし何よりも、お客様をはじめ、関わってくださった皆さまのお力添えをいただいたおかげです。
ずっとお付き合いが続いているお客様たちからは、他より安いから、とか、迅速に対応してくれるから、といった具体的な理由はあると思いますが、心の奥には、
「きみたちを応援しているよ」
という思いがあって、それで私たちにお仕事をいただいているような気がしてなりません。
わたしたちも、お客様のお仕事を応援しています。
お客様のお仕事に何かの形でお力になれる存在でいられるよう、これからも仕事を続けてまいります。
わたしたちの会社は、万人受けする存在ではないと思っています。
それでも、私たちを頼ってくださるお客様を大切にしながら、これからも一日一日を積み重ねていきたいと思っています。
昼食で長尾と店に入ったとき、たとえ値段が1,000円であったとしても、今は迷いなくそれぞれに注文できることに感謝しながら、今年もチャレンジ精神を忘れずに進んでいきます。
どうぞ、これからもよろしくお願いいたします。
