彼のことをみんな「周ちゃん」と呼んでいました。
周ちゃんは生まれつきのハンデキャップがあり、人と上手にしゃべることが出来ませんでした。
わたしのひとつ下のいとこです。
両親と2人の弟とおばあちゃん(母方)の6人で暮らしていました。
おばあちゃんは周ちゃんのことをとてもかわいがっていて、周ちゃんもずっとおばあちゃんの後をついて回っていました。
18歳からは施設に入って暮らしていた周ちゃん。
月に1回、外泊で自宅に帰ってきていたみたいです。
そして、お盆や正月の集まりには、周ちゃんも親戚のみんなと一緒の時間を過ごしました。
毎年の恒例行事となっている1月2日の正月の集まり。
お座敷の部屋に大きめのテーブル(座卓)が3つくらい横に並びます。
たくさんのおせち料理、鉢盛、鍋、刺身などがところせましと置かれ、20名前後の人たちがざぶとんに座り準備完了。
周ちゃんのお父さんでもあるおじちゃんから一言挨拶があり、「乾杯」で食事がはじまります。
が、乾杯の前から周ちゃんはすでに大好きな刺身をモグモグと夢中で食べていました。
毎年そうでした。
みんなはニコニコとその姿を見ていました。
お先にお腹いっぱいになった周ちゃんは、みんながまだ食事中なのはおかまいなしで、部屋を出たり入ったり、別の部屋のこたつで横になっていたりしていました。
それでもみんなは何も言いません。
みんな周ちゃんがここにいることが嬉しかったので、そんなことはどうでもよかったのです。
わたしも毎年、周ちゃんに会うたびに「周ちゃん、こんにちは」と声をかけました。
そんなとき周ちゃんは、どうしたらいいか分からずにいつもわたしから逃げるようにどこかに行ってしまっていました。
周ちゃんとの壁を感じて寂しくも感じましたが、それでも周ちゃんに話かけたこと自体がうれしくて、わたしは満足していました。
周ちゃんはみんなと話ができません。
でも、自分のお母さんのところには自分から何かを話に行きます。
お母さんのところに行って、何かを訴えるかのように小さく短い言葉を口にしていました。
その声を近くで聴いたことがありますが、わたしには周ちゃんが何を言っているのかは分かりませんでした。
でも、お母さんは、周ちゃんが何を言っているのか、すぐに分かるのです。
「何か飲みたいとね。はい、おいで」
と冷蔵庫の方へ2人で行ったり、
「そうね。よかったね」と笑ってる周ちゃんのお母さんの姿を見ていました。
周ちゃんはお母さんのことが好きなんだな~。
お母さんも周ちゃんのことが大好きだから、2人は気持ちが伝わるんだろうな~と思って見ていました。
叶わない夢かもしれないけど、いつかぼくも周ちゃんと少しでいいから話してみたいな~。
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