福岡県久留米市にあるWEB制作会社  はねオンライン株式会社   はじめてのホームページ制作からリニューアルまで対応♪

お客様の古いサーバーが、引っ越しの際に壊れてしまいました。
 
保守業者さんから新機種への入れ替え提案を何度もされていたそうですが、
ずっと断っておられたそうです。
 
4月から新しいシステムに変更する計画があるらしく、
決算までのあと2ヶ月半、なんとかこのサーバーを使いたいというご要望でした。
そのシステムは、顧問税理士さんがすでに開発中とのこと。
 
万が一、現状のサーバーが壊れてしまったら、業務全般が手書きになってしまうとのことで、みなさんかなり心配されていました。
 
移転先の建物までは、車でわずか15秒。
 
バックアップも取ることができず、
『こうなったら「壊れない」という前提で運ぶしかないですね……』
という結論になり、
 
壊れました。
 
サーバー保守業者が3時間ほど復旧作業をされてありましたが、
「ちょっとむずかしいです……」という回答。
 
翌日、サーバーにも詳しい業者さんのところへ持って行きましたが、
復旧は不可。
 
業務ソフトが使えないので、しかたなく手書きの伝票で業務をされていましたが、
今までの数倍も時間がかかり、休日も出勤しないと追いつかない状況となりました。
 
「手書き業務のままで、4月まで仕事をするのは現実的に無理なので、
新しいシステムを早く準備してほしい」
ということになり、開発担当の税理士さんが大慌てとなりました。
 
試作中のソフトを使えるようにしたのはいいのですが、
未完成のため当然のごとくエラーが頻発。
 
なかなか先が見えずに、みんな頭をかかえていました。
 
 
4日後、救世主が現れます。
この窮地を救ってくれたのは、同級生のセキくんでした。 Continue reading

裏路地を歩いているとT字路にぶつかりました。
 
右に行こうか左に行こうか迷っていると、正面の家からお年を召したおばさまが出てこられ、道を渡ってゆっくりとこちら側へ歩いてこられます。
 
目があったので会釈をすると、「こんにちは」の後にこう聞かれました。
「あなたは何をしておられるの?」

私は、
「写真を撮りながら駅から駅まで歩いておりまして」
と、少し恐縮しながら答えました。
警戒されちゃったかな、と思ったからです。
 
「あら、そうなの。いいことなさってますね」
と、とても感じのいい笑顔を向けてくださいました。
 
カメラ持って歩いてるだけで怪しまれる時代に、こんなにも気持ちよく肯定していただいて、なんだかとても嬉しくなってしまいました。
 
まるで、将来の夢を自信無さげにボソっと口にしたあとに、ばあちゃんに「いい夢ね、がんばんなさい」と言われた20歳の孫のように。
 

 
(※ 許可をいただいて撮影しています)
 
お礼を言って駅の方へ歩きかけて、私はすぐにおばあちゃんのところに戻りました。
 
「今撮った写真を、今度、紙に印刷してお持ちします」
と言うと、
「いやいや、いいですいいです。自分の写真はあまり見たくないから」
と手を顔の前でフリフリされました。
 

 
 
やっぱりこの写真、持って行こうかな……。
そう悩んでしまうくらいのステキな表情の写真が撮れていました。

「カメラを持って、つい衝動的に旅に出ちゃいます」
 
とプロフィールに書ける人になりたい。
 
こんな思いが芽生えたのは、
「プロフィールにこんなことを書いている人がいますよ」
と、長尾から先日教えてもらったのがきっかけです。
 
「これだ!」
電流が走りました。
憧れました。
そのプロフィールの文言、まるごと拝借することにしました。
 
ということで、
予定のない休日に、そんな人になるための「練習」をしてみようと思い立ったわけです。
(練習をしている時点で、衝動的な旅をする人物にはなれない気がするのだけど)
 
 
さて、どこへ行こう。
もちろん日帰りですが、日頃から行きたい場所のストックがないのは痛い。
どこにでも行っていいと言われても、どこに行っていいか分からない。
 
時刻は10:30。
遠出をするとなると出発時刻もやや微妙。
 
日頃、車での移動ばかりなので、今日は電車で行きたい気分です。
そして今日はなんだか南の方向に行ってみたい気分がしました。
 
とりあえず、カメラと最低限の荷物を持って最寄りのJR駅へ。
 
電車が来るまで約30分。
どこに行こうかまだ決まってません。
駅の待合室で考えることにしました。
 
せめて旅っぽい気分を味わうために、
「県外に行く」というルールを自分に課すことにしました。
非日常を味わうために。
 
福岡県の南隣の県は、熊本県。
  Continue reading

10月吉日。
毎年恒例となっている、男2人の『ミーティングキャンプ』に行ってきました。
 
【目的】
新しい期を迎え、今後の会社の方向性を話し合う。
新しいチャレンジは何か?
削っていく仕事はどれか?
改善するべき点はどこか?
などなど。
 
【本音】
自然の中で焼いて食って飲んで、ただただキャンプを楽しもう。
 
長尾はたまにひとりでもキャンプに行ってますが、2人でのキャンプは今回で6回目となりました。
(テントは別。ソロキャンプ×2 のスタイルです)
 
過去の5回のキャンプはこんな感じでした。
(私目線での記録です)
 

【今までのキャンプの記録】

1回目……2020年9月末。(佐賀市:北山)
山の極寒を知る。
 
2回目……忘年会を兼ねた同年12月。(八女市星野村:池の山)
冬キャンプは予想を超えて寒かった。
夜中に飛び起き、凍えながら火を起こした。
 
3回目……2021年5月。(八女市黒木町:奥八女焚火の森キャンプフィールド)
寒さは問題なかったが、
夕食後、予報を超える豪雨となる。
騒音レベルの雨の音で、浅い眠りのまま朝を迎える。
 
4回目……忘年会を兼ねた同年12月。(大牟田:橘香園)
現地でテントが見当たらない。
長尾にタープを借りてテントもどきで睡眠。
(過去記事あり ※リンクは最後に) Continue reading

Aくんにとっては、真っ白なオセロ盤が、一気に真っ黒になったくらいの衝撃だったんだろうと思います。
 
経営者の集まる会に所属していたときの話です。
「永松さんのところで、うちの店の●●を作ってもらうことはできますか」
と親しくしていた年下のAくんに聞かれました。
もちろんOKよ、連絡もらえたらいつでも打ち合わせに来るよ、
という感じのやりとりがありました。
 
Aくんとは数年前にも同じ委員会になり、いつも親しげに話かけてくれてました。
Aくんは、仕事がら夜遅くなることも多く、月1回の委員会には毎回の参加はできない状況でした。
会うたびに、「ほんとうにもう作りたいと思っているので、よろしくお願いします」と言ってくれました。
 
打ち合わせに行くからいつでも連絡してね、というやり取りをおこなうことが数回続きます。
こちらがお金をいただく立場上、こちらから積極的に打ち合わせの連絡を入れるのもなんかガッツいているように思われそうで、連絡は待っておくことにしました。
 
数ヶ月後、いつものように親し気な笑顔で近寄ってきてくれたAくんに、
「Aくん久しぶり。委員会に来にくくなったんじゃないかと思ったよ」
と、やや軽い冗談のニュアンスをこめて私はそう言いました。
 
もし、Aくんにいろいろと事情が発生して、
「お願いします、と言った手前、今さらやっぱり断りにくいなあ」
と、Aくんは思ってるかもしれない。
もしそうなら、ぜんぜん気軽にそう言ってもらっても大丈夫だよ、という思いもあったのです。
 
その後、Aくんは最後まで委員会には来ませんでした。
忙しいんだろうなと思っていました。
 
今年の3月。
会、全体懇親会の3次会だか4次会にて。
ガヤガヤと話し声と、誰かが歌っているカラオケが流れる部屋でした。
誰に言われたのかも、はっきり覚えていないのですが……。
疲労とアルコールでクタクタになっていたこともあり、ピンと来なくて聞き流してしまったようです。
はっきり意味がわかったのは次の日でした。
昨夜のいろんな人の会話が頭の中をグルグルと回っていました。
いわゆる二日酔いです。
その中に、一気に目が覚めてしまうような会話が脳内で再生されたのです。
 
『A君が、「永松さんに[来にくくなった]って言われた」って言ってたよ』
 
ん? Continue reading

なんと。
養老先生と虫採りに行けるという機会に恵まれました。
 

親子20組と書いてありますが、
子供なしの大人2名での参加でもいいですかと尋ねたら、
「ぜひぜひご参加ください!」とこころよいお返事をいただきました。
 
もし、だめです、と言われた場合は、
スコ(猫)とモモ(猫)に麦わら帽子と子供服を着せて連れていくか、
もしくは、
だんなが精神年齢が小5くらいなんで……、ってなんとかお願いするか、
という2つの作戦をたててました。
すんなりOKをいただけてよかったです。
(主催者の未来創造クラブさん、ありがとうございました)
 
(今回の記事、9割9分9厘は妻の「推し活」から得た情報と行動で成り立っています。
 わたしの手柄はゼロです。)
 
小さいころから虫採りに夢中だった養老先生。
いまや、箱根に養老昆虫館があり、そこには先生が採取した虫の標本がたくさんあるようです。
雑誌『ダ・ヴィンチ』2023年5月号で、養老先生と星野源さんが対談した場所は、この養老昆虫館。
一般公開はされておられないようです。
夢のまた夢、途方もない夢だけど、いつか招かれてみたいなあ……。
 

(雑誌『ダ・ヴィンチ』 2023年5月号より)
 
毎年、子どもたちのために虫採りイベントをおこなっている養老先生。
今年の7月には、
「養老先生と虫さがしに行こう・夏休み自然散策教室 in 宮城」
というイベントが宮城県で行われていました。
いつか行ってみたいね~と、指をくわえてそのイベントのニュースを眺めていたんですが、まさか2023年のうちに実現するなんてビックリです。
 
なぜ、養老先生は子どもたち向けにこのようなイベントをおこなっているのかという答えは、前日の講演の中で話されていました。
 
「子どもたちを虫採りに連れていくのは、あくまでも口実です。本当の目的は、子どもたちを外で遊ばせること。予測がつかないことが起きたときにどういう風に対応していくかという力をつけるためには、自然の中で遊ぶことが1番いいんですよ。生きているといろんなことが起きますから」 Continue reading

小さなWBC

小さなWBC

とある小学校で、通信機器の工事の日。
 
作業の途中で脚立が必要になり、車まで取りに行くことに。
 
暑い…。
腕に当たる直射日光は痛みを感じるレベルです。
本日の気温38度。
ワシャワシャというセミの鳴き声。
(エアコンの効いた職員室に早く戻ろう)
そう思いながら、車の上から脚立をおろしていると、運動場から少年たちの声が聞こえてきました。
 
小学生の少年たちが3人で野球をやっています。
ピッチャーとバッターと守備。
 

 
広い運動場なのに、守備は1人。
転々と遠くまで転がったボールを追いかけて戻ってきた青いTシャツの少年は、ゼーゼーと息を切らしています。
 
「おい……シュン……おまえ……ちょっと……打たれすぎ……」
と、膝に両手をついてピッチャー少年に文句を言いました。
 
「打たれるってことはコントロールがいいってことぜ!」
ピッチャーのシュンは反論します。
 
青ティー少年はそれには何も答えず、ゼーゼー言ってます。
 
「そうだ、今からWBC大会をやろうぜ」
白い帽子をかぶったバッター少年が提案しました。
 
(ほほう。WBCがはじまるのか。どれどれ)
わたしは、車内に置いていた沸騰寸前の熱いペットボトルのお茶を飲みながら運動場の方をコッソリ見ていました。
 
「1番、センター、ヌートバー」
 
(なるほど、2023年版のオーダーね)
 
「に、変わりまして……」
 
(え、いきなり代打?1打席目なのに?)
  Continue reading

今の世の中、わざわざ届けられるニュースは悪いことの方が多いものです。
 
先日、国道3号線を運転中のこと。
夕方で、車の量も多い時間帯でした。
信号待ちの間に、水をひとくち飲もうとした矢先、
右側からコンコンコンという窓をノックする音が聞こえました。
中央分離帯がある、片側3車線の大通り。
1番右側の車線にいましたので、自分の右側には車も人もいないはずです。
 
いやな予感がしました。
信号待ちのときに運転席の窓をノックしてくるといえば、それは経験上ほとんどの場合「警察官」です。
 
ドキッとしながら、右側を見ると、
30代くらいの白い服を着たチャーミングな女の方が立っていました。
ポリスメンではなさそう。
なんだろう……。
 
「あなたの運転がとてもステキでどうしてもそれを伝えたくて」
という可能性は排除していい場面だと思われます。
わざわざ届けられるニュースは悪いことの方が多いものだからです。
 
ドキドキしながら窓を開けました。
「あの~、給油口が開いてますよ。キャップごと……」
え!?とびっくるする私に、その女性の方は、
「わたし閉めましょうか? あ、大丈夫ですよ。閉めますね」
そう言って、車の後ろから左側へまわって給油口のところへ行ってくれました。
 
信号待ちしている車は他にもたくさんいましたので、
みんな「何事だろう」という顔でこっちを見ています。
ルームミラーで後ろの車を見ると、ヒゲをきれいに整えた40代くらいの男性が座っていました。
その女性はどうやら後ろの車の助手席からやってきてくれた模様です。
 
見ず知らずの女性に、閉め忘れたガソリンの給油口を閉めてもらうというのは、こんなにも申し訳なく恥ずかしい気持ちになるんだということをはじめて知りました。
まるで、見ず知らずの女性に破れたパンツを手渡し、縫ってもらってるのを正座して待っているような気分です。
 
彼女は給油口のフタをパタンと閉めて、自分の車の助手席に戻られました。
わたしは運転席の窓から身を乗り出し、後ろに車に向かって、
「ありがとうございました!」とお礼を伝えました。 Continue reading

4月の日曜日。
日帰りですが、京都まで養老先生の話を聴きにいってきました。
 

養老先生のかんたんなプロフィール

 
養老 孟司(ようろう たけし)氏は、東大医学部卒で解剖学者。
現在、85歳。(2023年4月現在)
 
第二次世界大戦後の日本における歴代ベストセラー、
第5位である『バカの壁』(2003年)は、450万部以上発行され、
養老孟司氏の名前は世の中に知られることになりました。
(ちなみに第1位は『窓際のトットちゃん』黒柳徹子著です)

とは言え、それ以前から解剖学の世界では養老先生は有名だったようです。
なぜなら、
1996年に上映された『ガメラ2』に、
北海道大学獣医学部の教授役として出演し、
ガメラの敵である怪獣(小型レギオン)を解剖しておられます。
 
怪獣の解剖ですよ!
 
世の中には数多くの解剖学者がいると思いますが、
怪獣を解剖したことのある方は、そうそういないはず。
出番はほんのちょっとだけでしたが、いい味出されておられました。
(ちなみに主演は水野美紀さんです)
 
本はなんと100冊以上執筆されていて、
雑誌での対談や、テレビ出演もたくさんあります。
YouTubeのチャンネルも持ってあります。
 
趣味は、小さいころからやってるらしい『虫集め』。
なかでもゾウムシに夢中のようです。
箱根に、「養老昆虫館」というものを作られており、
その中には昆虫の標本がたくさん並んでいます。
 

養老先生についての先入観と実際の姿

養老先生に興味をもったのは、その数ある書籍を読んで……、
と言いたいところですが、 Continue reading

「葉っぱも食べなさい」

そう言われたのは、となりにいた同級生の友達。
となりで桜餅を食べていた小学5年のぼくはギクリとしました。
彼のお父さんが自分の息子にそう言ったのです。
友達の方を見ると、取りかけた葉っぱを桜餅に戻して、不満気に食べていました。
 
その場にはわたしの父もいましたが、そのとき父は何も言いませんでした。
(葉っぱも食べないと怒られる家があるんだ……きびしいなあ……うちが甘いのかな……)
と、手に桜餅を持ったまま考えていました。
 
それまでに、桜餅の葉っぱ、食べたことはあったんです。
でも、桜餅のおいしさを一瞬で台無しにしてしまうような理解不能な味がしました。
「桜餅は葉っぱ付きで食べた方がうまいよな。あんの甘さと葉っぱの塩味のハーモニーが最高だよ」
と、そんなセリフを吐く口の肥えた通好みの友達なんか、
小学生のわたしの周りには1人もいませんでしたから、
葉っぱを食べるのは大人だけだと思ってました。
 
(いつものように葉っぱ剥がして食べようかな……。
友達のお父さんが、よそん家の子供まで怒ることはないだろうし。
でも、ぼくが葉っぱを剥がして食べたら、
ぼくのお父さんはきっと[しつけの出来ない父親]と思われるに違いない。
それはなんか悔しいし、お父さんがかわいそう。
おっとつぁんの顔にどろを塗ってはいげねー。
よし、やっぱりここは葉っぱごと食べよう!
まかせとけ、父ちゃん!)
 
そう決意したわたしは、
いつもこうですけど、みたいに涼しい顔をしながら、
葉っぱをつけたままの桜餅にかじりつきました。
 
しょっぱい。
(やっぱ剥がして食べればよかった……)
 
しかたなく、残念な桜餅をちびちび食べたわけなんですが、
わたしの記憶の中には、このとき父が桜餅を食べてる姿はないんです。
なぜか、背中だけをおぼえています。
 
当時は、
(「葉っぱも食べなさい」なんて言われない、子供に理解のある家に生まれてよかった~)
って単純に思ってたけど、 Continue reading

WBC、盛り上がりましたね。
侍ジャパンは決勝戦でアメリカに勝利し、世界一となりました。
 
大会が終わってからも、テレビ、ネットのニュースでは後日談の話題で持ち切りです。
なかでも1番注目されたのは、なんといってもMVPを獲得した大谷選手でしょう。
まるで映画を見ているようなシナリオの中、それを期待以上に演じきったスーパーヒーローは、世界中の人々を魅了しました。
 
プレー以外の部分でも大谷選手は魅力的です。
相手チームの選手との握手、審判への接し方、試合前のチームメイトやコーチとの笑顔など。
 
無難なコミュニケーションを基本にしているわたしに比べると雲泥の差です。
海と膿くらい違います。
ガッキーとゴッキーくらい違います。
 
よし、あの社交性を見習おう。
そして、この業界のオオタニになろう。
大谷と横並びに語られる日がくるように。
 
試合を見て興奮してたわたしは、小4男子みたいに単純でした。
 
 
WBC決勝戦が終わった日の午後、
わたしはフレンドリーコミュニケーションをイメージしながらお客様のところに向かいます。
まず手始めとしてはこんな感じでいいでしょう。
 
「こんにちは! 
侍ジャパン、世界一!やりましたね~!
今日は仕事どころじゃありませんね。いえいえ冗談です。ハハハ。
ちゃんとお約束してた件でお伺いしました」
 
普段の「無難な対応」、
言い換えれば「おもしろくない対応」に比べれば、
ここまで「開いた対応」ができるなら上出来です。
 
ボクはオオタニ。ヒラいたコミュニケーションがデキルヒトだ。
そう言い聞かせながら、お客様の扉を開きました。
 
「こんにちは。
……。 Continue reading

「パソコンの調子が悪いので見てほしい」という連絡をお客様からいただきました。
ちょうど近くにいたので当日に駆けつけることができ、無事に解決です。
連絡をいただいた社長に「終わりました」と挨拶をして帰りかけていると、社長の奥様から「はい、どうぞ」と、リボンのついた袋に入ったチョコレートを差し出されました。この日は2月14日でした。
 
「え?いいんですか?ありがとうございます」
「どうぞ」とにっこりされる奥様に向かって、
「これ、余ってたんですか?」と尋ねるわたし。
奥様は笑いながら、
「そんなんじゃないですよ。ちゃんと永松さんのためのチョコレートですよ」
と言ってくださいました。
 
なんと野暮な男なのか……。
訪問の予定はない日に急きょ訪問したわけだから、わたしのためのチョコレートではないのは明らかです。
にもかかわらず、お客様は機転を利かせ、すてきな言葉まで添えてくれたのに「余ってたんですか?」って聞く男。
イケてないにもほどがある。
モテないはずである。
 

反省しながら車を走らせていると、小5のときを思い出しました。
 
 
いつもの友達4人で帰宅中、バレンタインデーの話題になりました。
「明日、女子がチョコを男子に渡すという噂が流れてるよね」
「おれ、誰からもらったとしても断るばい」
「ぼくも、もしもらえたとしても、もらわん」
「俺も興味ない」
「うん、みんなでそうしよう」
 
4人の小学5年生男子が話し合いの末、導き出した答えは全員一致で、
「チョコをもらう男はかっこ悪い」
でした。
価値観が思いっきり古い気がしますが、昭和58年の話なのでご勘弁ください。
(今は、学校にチョコを持ってきてはいけないという決まりになっている学校もあるそうですね)
 
翌日、バレンタインデー当日。
ぼくら4人にもチョコをくれる女の子が現れました。
4人で「チョコもらわない同盟」を結束して24時間にも満たないうちに、わたしは「あ、ありがとう」とあっさりと受け取ってしまいます。
 
やばい……友達に見られたらどうしようと思っていると、昨日一緒に誓い合った盟友たちもドギマギした顔で素直に受け取ってる姿を発見。
「なんだ、みんなもらってるやん……」
安心したような、裏切られたような不思議な気持ちを感じていると、教室の後ろの方で大勢の女子が誰かを取り囲んでいるのが見えました。 Continue reading

彼のことをみんな「周ちゃん」と呼んでいました。
 
周ちゃんは生まれつきのハンデキャップがあり、人と上手にしゃべることが出来ませんでした。
わたしのひとつ下のいとこです。
両親と2人の弟とおばあちゃん(母方)の6人で暮らしていました。
おばあちゃんは周ちゃんのことをとてもかわいがっていて、周ちゃんもずっとおばあちゃんの後をついて回っていました。
 
18歳からは施設に入って暮らしていた周ちゃん。
月に1回、外泊で自宅に帰ってきていたみたいです。
そして、お盆や正月の集まりには、周ちゃんも親戚のみんなと一緒の時間を過ごしました。
 
毎年の恒例行事となっている1月2日の正月の集まり。
お座敷の部屋に大きめのテーブル(座卓)が3つくらい横に並びます。
たくさんのおせち料理、鉢盛、鍋、刺身などがところせましと置かれ、20名前後の人たちがざぶとんに座り準備完了。
周ちゃんのお父さんでもあるおじちゃんから一言挨拶があり、「乾杯」で食事がはじまります。
 
が、乾杯の前から周ちゃんはすでに大好きな刺身をモグモグと夢中で食べていました。
毎年そうでした。
みんなはニコニコとその姿を見ていました。
 
お先にお腹いっぱいになった周ちゃんは、みんながまだ食事中なのはおかまいなしで、部屋を出たり入ったり、別の部屋のこたつで横になっていたりしていました。
それでもみんなは何も言いません。
みんな周ちゃんがここにいることが嬉しかったので、そんなことはどうでもよかったのです。
 
わたしも毎年、周ちゃんに会うたびに「周ちゃん、こんにちは」と声をかけました。
そんなとき周ちゃんは、どうしたらいいか分からずにいつもわたしから逃げるようにどこかに行ってしまっていました。
周ちゃんとの壁を感じて寂しくも感じましたが、それでも周ちゃんに話かけたこと自体がうれしくて、わたしは満足していました。
 
周ちゃんはみんなと話ができません。
でも、自分のお母さんのところには自分から何かを話に行きます。
お母さんのところに行って、何かを訴えるかのように小さく短い言葉を口にしていました。
その声を近くで聴いたことがありますが、わたしには周ちゃんが何を言っているのかは分かりませんでした。
でも、お母さんは、周ちゃんが何を言っているのか、すぐに分かるのです。
「何か飲みたいとね。はい、おいで」
と冷蔵庫の方へ2人で行ったり、
「そうね。よかったね」と笑ってる周ちゃんのお母さんの姿を見ていました。
周ちゃんはお母さんのことが好きなんだな~。
お母さんも周ちゃんのことが大好きだから、2人は気持ちが伝わるんだろうな~と思って見ていました。
叶わない夢かもしれないけど、いつかぼくも周ちゃんと少しでいいから話してみたいな~。
  Continue reading

珈琲店でパソコンを開いて仕事をしていました。(いわゆるカフェ)

 

壁(窓)向きのカウンター席って集中できるからいいですよね。
この店は勉強(仕事)コーナーがあり、コンセントも使えるしちょくちょく利用させてもらっています。

 

そういえば、今日は共通テスト(旧センター試験)の日。
夕方になると、学生さんたちで席がいっぱいになりました。
受験生は追い込みの時期です。
みんな参考書や問題集を開いてもくもくとノートに何か書いていました。

 

パソコンを開いて別の作業をしている自分がなんだか場違いな感じにもなってきたし、
これから来る学生さんたちに席をゆずる意味も込めて、そろそろ帰ろうかなと思っていると、友人からLINEが届きました。
 
数学の問題らしい写真が載っています。
その写真のあと、「お願いしますだ」とメッセージが来ました。
 
中学生の娘さんに「教えて」と言われたけどパパが分からなかったんでしょう、何はともあれヘルプのようです。
 
中学生の数学だったら、少し考えれば分かるんじゃないかな。
 
さて、どれどれ。

 

 

「関数y=ax²…」さっぱり分かりません。
問題の意味からしてわかりません。
中学の数学をなめてました。
隣の女の子に、「ねーねー、この問題わかる?」と聞くわけにもいかずググりました。
二次関数の基本的なことが書いてある記事を読みました。
YouTubeも見ました。
塾の講師が二次関数の解説をしているのをノートをとりながら数本見ました。

 
周りから見たら私も受験生に見えたはずです。
(あなた三十浪くらいしてるの?今年こそはがんばんなさいね)と思われてしまうような受験生に。
 
数学の問題を解いていると、
周りの学生と一体感を感じるような、
この部屋にいることを許されたような不思議な気持ちになってきました。
 
きれいな解き方ではなく強引な導き方のような気がしますが、なんとかかんとか3問中2問は解けました。
  Continue reading

「え?もう1年が終わるわけ?」
と、愕然としているうちに、気が付くと新しい年がはじまっていて呆然とするというパターンを繰り返しています。
ここ数年ずーっと。

 

なんでそうなってしまったんだろう。
「今年も終わるんだな~」と、ラジオから流れてくる『雪の降る町 ※』を聴きながらしみじみ感傷的になっていた時代がなつかしい。
(※ ユニコーンの歌)

 

センチメンタルな青年期は過ぎて、現実や日常と向き合わざるをえない大人になったんだよ、と言われればそれまでなんでしょうけども。

 

だいたい、「歳をとるたびに時間が過ぎるのが早く感じる」というのが厄介な問題なんですよね。
来年、再来年、そして5年後と、どんどん加速してしまうわけですから。
センチメンタルな12月はもう一生味わえないことになります。
まあ、センチメンタルな12月はもう無理だとしても、
せめて「今年は1年長かったな~」という充実感あふれるセリフを年の終わりに言ってみたい!

 

ということで、
「歳をとるにつれて時間が経つのが早くなってしまう謎」
について調べてみました。

 

時間が長く感じたり、短く感じたりするときはどんなとき?

① 何かに夢中になっていると短く感じる。退屈だと長い。

 

これは実感としてわかります。
友人と遊んでいた休み時間、楽しい飲み会なんかはあっという間に過ぎてしまいます。
興味のない授業、立ちっぱなしのバイト、そんな時間はなかなか過ぎてくれません。

 

「楽しい時間は早く過ぎ、つまらない時間は長く感じる」
と、よく言われますが、実はこう感じてしまうのは、『時間の経過に、注意・関心があるかどうか』という説もあるようです。
時間の経過に注意・関心が向けられる頻度が高いほど、時間がより長く感じられ、逆に時間の経過をあまり気にしてないときや、時間の経過以外のことに注意・関心が向けられている場合は、時間は短く感じられるらしいです。
時計の存在を忘れるくらい楽しいときは、たしかに時間が経つのは早く感じますね。
逆に、自分が刑務所に入ってたら、はやく1年経たないかな~と時計やカレンダーばかり睨んでいるはず。で、その1年はすんごい長い。はず。

 

② 新鮮なことが多いと時間は長く感じる。前に経験したことをしているときは短く感じる。 Continue reading

「資格」や「免許」が不要な肩書は、とりあえず名乗ってしまえばいい。
そんなアドバイスをよく聞きます。
名刺に、たとえば『経営コンサルタント』とか『WEBライター』って書いてしまった方が本人の覚悟も生まれるし、周りの人もそのつもりで接してくれるので、成長するみたいです。肩書が人をつくる、って言いますし。

 

とはいえ、なかなかそれがむずかしい……。
経験も実績も少なく自信もないのに、いくら資格や免許がなくてもいいとはいえ、『写真家』とか『作家』とか『イラストレーター』って軽々しく名乗れないですよね。
畏れ多いし、そもそもそんな生易しいものじゃないって分かっているからです。
 
でも、いつかは「写真家」って名乗ってみたいという願望もある。
では、どうなったら名乗れるのか。
せめて、この3つの中のどれかを経験できたとき、名乗るきっかけにできると決めていました。
 
1.何かの賞を獲る。
2.自分のことを知らない人から、その肩書で呼んでもらえるようになる。
3.10年くらい続けて活動をしていて、お金を払ってもらえるくらい誰かの役に立つレベルになっている。
 
なかなか道は遠そうです。
わたしのような未熟者は、経験値を増やすしかありません。
ということで、先週も小さな駅前で街撮りをしていました。
時間は30分。(駅前の駐車場が最初の30分は無料だったため)
 
線路をまたぐ歩道橋にのぼり、駅のホームで待つ人などを撮りますが、たいしていい写真は撮れません。まあこんなものです。
移動をしようと歩道橋の階段へ向かいました。
夕日でオレンジ色に染まった西の空。
ファインダーをのぞきながらいい角度を探していると、道の向かい側の2階建ての窓の向こうでおじさんが何か飲んでいるような姿が見えました。
思わずそっちにレンズを向けシャッターを押したくなりましたが、盗撮していると思われるといけないのでなんとか我慢しました。
マナーは守らなきゃいけませんもんね。
 
階段を降り、駅前の広場の方へ行ってみました。
青いイルミネーションが点灯されており、あと2ヶ月もすれば12月なんだなと気付かされます。
青い灯りを前ボケに使ってみたり、背景の玉ボケにしてみたりといろいろと試しながら15分ほど経過。
カメラの背面モニターで確認をしても、またもやいい写真は撮れてません。
まあこんなもんです。
さて、駐車場が有料になる前に帰ろう。
 
車の方へ歩いていると、頭の上から声が聞こえました。
 
「おーい兄ちゃん、写真撮ってくれんね」
見上げると、さっきの2階の窓のおじさん2人がワイングラスを持って差し出していました。
びっくりしましたが、こんないい被写体はなかなかありません! Continue reading

10歳以上歳の離れた従弟(いとこ)の結婚披露宴に行ってきました。
今年の3月に会ったとき、生まれたころから知っている彼は、すごく立派な青年になっていました。

 
こんなおめでたい日にはちゃんとしたカメラを持っていこう。
80名近く参加するみたいだし、いいシーンに出くわしそうな気がします。
 
失敗がないように、前の日の夜から丁寧にしっかりと準備をいたしました。
 
今までカメラに関する失敗はこんなことがあります。
● SDカードが入ってなかった。
● 充電し忘れてカメラの電源が入らなかった。
● 予備のバッテリーを忘れて後半はただの荷物になった。
 
同じ過ちは、もう二度と繰り返したくありません。
 
 

明日の準備をしながら、
「そういえばカメラを持つことが楽しくなったのはいつ頃からだっただろう」
と、思い返していました。

わたしの場合、
「小学生のころから気が付いていたら父親のカメラを手にもって遊んでいた」とか、
「中学生のころに見たアンリ カルティエ=ブレッソンの写真集に衝撃を受けて……」とか、
そんないい感じの理由は一切なく、残念ながら消極的な理由でした。

 

10名を超えるような団体行動があまり得意ではなかったわたしは、グループで遊びに行ったり、何かイベントをやるという機会があると、早く終わんないかな……と、こっそり思っているタイプでした。
(今でもあまり変わってません……)
 
みんなが楽しそうにやっているのに、自分だけポツンと置いていかれているような居心地の悪さを感じることが多かった記憶があります。
 

19歳くらいのある日、サークルのイベントのときに「今日のカメラ担当」の役割になってしまいました。
 
フイルムカメラ時代にこれをやったことある方はご存じだと思うんですが、この役割って結構面倒なんですよね。
まず写真屋さんに行き、当日撮った写真を現像をしてもらいます。 Continue reading

日曜日の昼すぎに、
「今すぐテレビつけて『のど自慢』見てみて!岡くんにそっくりの人が出てるから」
という電話が友人からかかってきたのは、2012年8月19日のこと。

 

その情報は、またたく間にわたしたちの草野球チームメンバーに拡散されました。

「ほんとそっくり」
「うたってる!」
「演歌!しかもめっちゃうまい」
「え、これどう見たって本人だよね?」
「わー-!!岡くんが今週のチャンピオンになった!!」

 

 
テレビの中で岡くんが演歌をうたっているってだけでもびっくりなのに、
うまくてびっくり、
「合格」の鐘が鳴ってびっくり、
「今週のチャンピオン」に選ばれてびっくりの、
現実に理解が追いつかないそんな日曜日となったのを覚えております。

 

わたしたちはそのときまで、岡くんが演歌歌手になる夢を持っていたってことをぜんぜん知りませんでした。

 

この草野球チームは、2006年、わたしと長尾が「野球やりたいね」ってことで、友人たちに声をかけて「お遊び」のような形ではじまったチームです。
2008年、「そろそろ試合したいね」と、人数も9名そろってないのに市の軟式野球連盟に加入し、それから2017年までの10年間、本格的に活動をしていました。
(チーム名はビルズ)

 

最初は試合に出るだけで精いっぱいだった弱小チームでしたが、
長尾がビルズのホームページをつくり、そこからメンバーが少しずつ増えていき、最後は市の軟式野球連盟のC級で優勝するくらいまで強くなった伝説のチームです。
(「伝説」はわたし個人の妄想レベルの主観です)

 

岡くんが初めてビルズに参加したのは、「NHKのど自慢」に出場した前の年の2011年8月7日。
彼が中学3年のときです。
中学生の野球少年から、参加したいとメールが届き、
「こんな弱小チームで満足してくれるのだろうか……」
とか、
「扱いきれないくらい、とんでもなく生意気だったらどうしよう……」
と、監督だったわたしの方がびびっていた記憶があります。

しかし、岡くんはとても素直でまっすぐな少年でした。
チームにもすぐに溶け込み、
「ビルズで野球するのが楽しいです」と言ってくれて、それからずっと参加してくれるようになりました。
 
彼が高校生になったとき、 Continue reading